『スピリチュアルなんかぶっ飛ばせ』

スピリチュアルを否定するブログではありません(^^)  25年以上この世界を見てきた僕の思うがままを書きます。夢物語ばかりの“えせスピリチュアル”はふっ飛ばしていく姿勢です。

第39回 僕のスピリチュアルな冒険⑩「救い…ヒーラーMさん」【後日談】

ヒーラーMさんシリーズ三部作(大げさ^^;)を書き上げてホッと一息ついてます つなぐ です


さて、

前回まで三回に渡って書いてまいりました

ヒーラーMさんとのヒーリング体験。


うつ病地獄から抜け出る大きなキッカケになったのは間違いありません。

(その経緯は↓)


第36回 僕のスピリチュアルな冒険⑦「救い…ヒーラーMさん」【前編】 - 


第37回 僕のスピリチュアルな冒険⑧「救い…ヒーラーMさん」【中編】 - 


第38回 僕のスピリチュアルな冒険⑨「救い…ヒーラーMさん」【後編】 - 


注)今回の記事は上の記事を見ないと分からない内容となっています(^_^;)




このヒーリングで一体何が起こっていたのか?


当時は当事者でありながら、僕自身も本当に大変な時期であった為

とにかく楽になったことだけでホッとしていました。


あれから10年近くが過ぎ、僕も当時を振り返る余裕が出てきました…(遠い目)


またその後、ヒーリングや心理学の勉強を進めてきましたので、

今の自分なりに

”もう一度あの時一体何が起こって、僕に解放と言える状態が訪れたのか?”


そして


『(全般に)ヒーリング』


というものは一体なんなのか?


といういう個人的な考察と

ヒーリング終了後の後日談を書いてみたいと思います。。


では、始めていきます。




なんと言っても印象に残っているのは、前回でも書きました


あの「大泣き体験」


でした。


本当に今考えても不思議な体験です…


僕は涙もろい方でも全くありません。

むしろ、普通の人よりも泣かない・泣けないタイプだったんです(^_^;)


その僕が、

特に言葉をかけられたわけでも無く、只々Mさんの傍らで座っているだけで

もう胸の奥から溢れんばかりの嗚咽とともに泣きわめいたのですから。。



あの状態はシータヒーリング(以下シータ)でいう

”シータ波の状態になったMさん”に僕自身も影響されて…という状態なんですね。


傍から見ると、

本当にシーーンとしている場面に、二人が並んで座っているというだけなんです。

(僕はまっすぐ座る気力も無く、力なくうつ向いて座ってました)


※シータ波とは瞑想時いわゆる「無の状態」になっている時に出る脳波のこと



泣くシチュエーションなんてほとんどないわけです。

でもソレは起きたのです。。


考えられるのは2つ…


一つ目は、

以前、Mさんを知っている共通の知人から

「Mさんからシータを受け泣いてしまった」という話を聞いていたので、

その”暗示効果”で泣いてしまったというものです。


でもソレはもう何年も前の事でしたし、サラッと聞いた程度…

聞いた当時の僕も「そんな馬鹿な事、本当にあるの?」と思ってました。。

(その現象にはかなり懐疑的だったんですね)


ですから、

”自分から泣きにいこう”としてMさんのヒーリングを受けたのでもなかったのです。


ソレに「大泣き」が起きる前段階で、何度も同じ様なシチュエーションはありました。

そのどれとも、泣きそうになる事すら全くなかったのです。


更にヒーリング対象となった

「当時の職場の先輩Tさんとの因縁」

というのも、“泣く事”とは程遠いテーマでした。。


二つ目は、

Mさんの“シータ波に本当に影響され、僕の脳波もシータ波になった”というものです。


そして、前世から続くTさんとの積もり積もったモノが、カタルシス効果(感情の解放)となって

あの“大泣き”という現象が起こった…


(コレはシータ本来の解釈という事になるのでしょうが…)


あの大泣きは、何に対してなのかは今もよく分かってはいません…

幾つもの過去世から続く「Tさんへの感情」なのか、

今生での「色々な事に対して抑圧してきた感情」なのか…


とにかく、

あれで何かが解放されたのは間違いないような気がしています。。




しかし、ココで僕が強く感じていることがあるんです。

ソレは「シータヒーリングが僕を解放したのか?」という事なんです。


どういう事かと云うと、、、


心理学(心理療法)の世界では、

技法はもちろん大切なのですが、その技法よりも、

ソレ以上に「誰から受けたか?で効果が変わる」という考え方・視点があるのです。


心理療法の場というのは結局の所、

セラピスト(療法家)とクライアント(患者)の間で起きる化学反応のようなモノなんですね。

(コレは”ヒーラー”と”受け手”に言い換える事も出来ると思います)


そしてその反応は、

”クライアントがその存在をセラピストを介して承認(自己承認)していく

過程”だと言われています。


この事については、どの心理療法にも共通している点で、

僕が思うに、技法以上にセラピストの存在が

クライアントに影響を与えていると考えます。



と、何か話が小難しくなって来てますね…


自分もセラピストなもので、つい熱くなってしまいました(^_^;)



話を戻しますね。


この事から考えると、僕が強く感じているのは…


シータヒーリングに救われたと言う以上に

僕は「Mさんのヒーリングに救われた」と言うことなんです。


あのヒーリング中に感じたMさんの


”ヒーラーとしての覚悟”

”僕に寄り添う覚悟”


みたいなものが、僕を解放に導いてくれた”核”のような気がしてならないんですね。



このブログで言いたかったのは、シータが素晴らしいという事ではなく

「優れたヒーラーは本当に素晴らしい」ということなんです。

※もしシータを受ける場合は、

個人の深い部分に入っていく手法なので、しっかりと研鑽を積んだ人から受けることをお勧めします。



後日談…


Mさんとの最後のヒーリング後、

僕の”生きる力”を更にアップさせる方法として

農業を体験することを提案してくれました。


それから二年後、、


実行までに時間はかかりましたが、僕は本当に農業体験をしに行きます。。


楽になったとはいえ、

ひきこもり生活も流石に疲れてきます…


いつになったら動くの?といった周りからのプレッシャー等で疲弊していきました(^^;;



そしてついに僕にも

その時(動く)がやって来ます。。


だいぶ思いきりましたが

四国の農業会社や、兵庫県の自給自足の農場に一ヶ月以上に渡って汗水流しました^^;;



Mさんの言った通り、本当に生きる力が蘇ってきました!

(この農業体験記もいつか書くつもりです)



この体験が、後の僕の社会復帰に大いに役立ったのです。


そんな所までアドバイスしてくれた事に今更ながら感謝ですm(_ _)m



そして、

その後 五年ぶりに思いがけずMさんと再会し、また不思議な体験をすることになるのですが、、

それはまたの機会に書いてみたいと思います(^^)



今回はこの辺で。


ありがとうございました。






☆個人セッション再会しました。

大阪市のキネシオロジー・ヒーリング&セラピー『小さなバルコニー』体の痛み、ストレス、姿勢調整