『スピリチュアルなんかぶっ飛ばせ』

スピリチュアルを否定するブログではありません(^^)  25年以上この世界を見てきた僕の思うがままを書きます。夢物語ばかりの“えせスピリチュアル”はふっ飛ばしていく姿勢です。

第7回 僕のスピリチュアルな冒険①〜本物!の「催眠療法」を受けた思い出〜【前編】

前回、前々回と番外編である

『ほぼ実話!?警察学校青春日記』を書いて一息ついていた つなぐ です(^_^;)


さて、今回は本編である、

僕の“スピリチュアル感について語る記事”なのですが、何を書こうか迷っていました…


ふと思いついたのは、


「そうだ!僕の治療体験を書いてみよう!」


と思い立ちました。

(どこがスピリチュアルやねん!とまた言われるのを承知で^^;)


僕は今まで、

自身の強烈な腰痛、そして人生に多大な影響を及ぼした“うつ病”を治すため、

様々な摩訶不思議な治療法(ヒーリング)を受けてきました。


それはまさに「冒険」と言ってもいいものでした(遠い目…)









『催眠療法』



ほとんどの方が聞いた事があるであろう療法…

でも、ほとんどの方が受けた事がないであろう療法…


そんな不思議かつ、ちょっと怪しさも匂わせる

この治療法を僕は受けた時の話をしましょう。


それも本物中の本物の先生から。。



最初にお断りしておきますが、

催眠療法というのは、れっきとした治療法であり、古くは

精神分析を創始した心理学の巨人、フロイトも研究、患者に使用していたり、

近年では前世療法で有名なブライアン・L・ワイス博士など

医師達の間でも用いられてきた、医学の世界にも認められたものなんです。


どうしても、バラエティー番組等でお笑いのネタ的に紹介されることが多いため、

怪しいイメージが付きがちなのですが、歴史的にも医療の世界で用いられて来た、

しっかりしたベースのあるものなんですね。(本物は)



そんな「催眠療法」を僕が何故受けることになったかと言うと…


あれは今から13年程前の話です。。


数年に渡ってうつ病のトンネルに入っていた僕は、出口も見えず

かと言って精神医療も信じられなくなっていました。

精神病院退院後も絶望の中、只々生きるだけの毎日が続き、病院へ行くのもやめてしまったんです。

(コレは余りよい選択では無かったと今となってはわかりますが、当時の自分にはどうにも出来ない事でした)


この苦しみから逃れたい一心で見つけたのが、ネットでみつけた催眠療法だったのです。


※当時はスマホなんて物も一般的ではなく、インターネットはパソコンでするのが当たり前の時代。

今のようにネット広告も少なくフィッシング詐欺等もまだまだ可愛いものでした。

一般のホームページも今より素朴なものが多く、悪意のあるページ等は今よりもうんと少なかったように思います※


そんな中で、


「催眠療法で重度のうつ病やその他の精神疾患を治している」


と言う凄い先生のページに辿り着いたのです。



直接このページを見たというより、うつ病だった幾人かの人が、

この先生の事を自分のホームページで体験談として紹介していた事からでした。


なんでも、、

色々なカウンセラーが、自分では手に負えないと思った患者を

最後に紹介するのが「この先生のところ」だというのです…



藁をもすがる気持ちで、そのホームページを見ました。


そこに書いてあった事で印象に残っているのは、、


・東京を中心に全国的に活動している

・電話にその先生が直接出て受付けしているの 

 で、出られない事も多いが本気の人は諦め

 ずに掛けてきてほしい

・料金は40万で一定期間の治療を行う

 “本気の人”しか来てもらいたくないので、

 一括前払い制で返金は一切行わない


等々


今書いていても、怪しさ満点なのですが(^_^;)

そのホームページの説得力と数人の個人ページでの体験談、そして


とにかく“今の地獄から楽になりたい一心”


が僕の心を動かしたんです。

(今の時代なら幾つものホームページを使った詐欺など当たり前ですが、この当時は余り考えられ無かった)


申込むにせよ、大金だった為、当時の自分の唯一の理解者だった妹に相談してみました。


妹も、怪しいかもしれないけど、

結局他に打つ手もない僕の病気に対して

「試してみよう」と賛成してくれたんですね。



そして意を決して電話をかけること数回、ようやくその先生とつながったのです。


意外にも「ざっくばらんなオッチャン」と言う感じの人でした。


「心配しなくてもええよ!」

「うちには沢山きて皆んな頑張ってるよ!」

「今度、時間が取れるのは二ヶ月後だから!


と、とにかくその2ヶ月後に予約を入れました。



この2ヶ月間は更に調子が悪くなり本当に辛かったので、一日千秋の思いで予約日が来るのを待っていましたね…




そして予約日の当日、

精神的にヨレヨレで一人では電車にも乗れない僕は、

妹に付き添われ、その先生の事務所まで何とか辿りついたんです。。



と、、

夏バテですかね、力尽きました。

一回で書き切ろうと思っていたのですが、2回に渡りそうです。


なんかこのパターンが多くなってます(^_^;)


今回はこの辺で。


ありがとうございました。


           つなぐ







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第6回『ほぼ実話!?警察学校青春日記』②最恐の教官 現る!

今回も不定期連載シリーズです。


少しずつブログというものがわかってきた 

つなぐ です(^_^;)


早速ですが前回↓からの続きです

(初めての方は良ければコチラ↑からどうぞ)




それでは、

再び「当時の僕」にバトンタッチして、始めていきたいと思います。



いきなりですが時を遡ります

(タイムスリップ!古いっ…)








199X年4月


警察官に採用され、晴れて警察学校に入校するため今、その入校の受付の列に並んでいる俺。。


(さっき【前回】、この列に誘導してくれた

先輩訓練生が俺の名前と配属予定クラスを

聞いた時「うわっ!当たりや」とボソッと言われた事などはすっかり忘れていた)



警察学校を見て改めて思う。


「デカい!」


二次試験の時にも来ていたので、分かってはいたのだが、

今こうして落ち着いて見ると、ちょっとした大学位はあるだろうか…


まあこの敷地内に、

生徒数百人の宿舎、食堂、

訓練の為のグラウンド・プール、柔道・剣道の各道場、射撃場

座学用の校舎 講堂 等々


が在るわけだから、当然と言えば当然なのだが…


いや〜改めてデカい組織に所属したのだなぁ

と思う。。


おっ、そうこうしている間に受付の列が進み、俺の番が近づいてきた。


どうやら胸にバッチのようなモノを付けてもらっているようだ。


そして…

いよいよ俺の番になった!


机を挟んで俺の前に立つ警察の制服姿の中年の男、

中肉中背で眼光が鋭い。


名前を告げる俺、


するとその男は、俺の胸にバッチを付けてくれ、


「入校おめでとう!」


と力強く声を掛けてくれた。


「ありがとうございます!!」


と挨拶も程々に次に行く場所に促される…


そう、

この時俺の胸にバッチを付けてくれた男こそ、

あの先輩訓練生が


「うわっ!当たりや」


と言った全ての「答え」だった!


でもその事に気が付くのは、もう少し後の話だ。

その時は、単に俺の受付をしてくれた警察学校の職員の1人だと思っていた…


そう、

これがこの警察学校随一と言われるほど厳しい、“鬼”と言われる「K教官」との初めての出会いだった!!



ここで改めて警察学校について補足しておくと、、


まず、警察官採用試験に合格した者は公務員ということになる。


そして、警察官としての教育機関が警察学校だ。

そこで学歴により6ヶ月or10ヶ月の間、警察官としての基礎をみっちり叩き込まれる。


座学では刑法を始めとする各種法律、警察官として現場に出る際に身につけておかなければならない捜査等の知識について。

また体力錬成では柔道・剣道、水泳、体育、教練(部隊を展開する訓練)など、、

それこそ、やることが山盛りある。


学校とはいえ給料も支給される為、小中高の学校とは意味合いが全く違う。(そう仕事なのだ!)


そして、学生は各クラス(学級)に別れて訓練生活を送ることになる。


そのクラスには担任が置かれている。(担任教官と呼ぶ)

警察学校では教える側と言うのも警察官であり〇〇先生などという呼び方はせず、

〇〇教官と呼ぶ。


そして各クラスはその担任教官の名前が冠され「〇〇学級」と呼ばれる。


その学級の方向性は、全てこの担任教官次第と言って過言ではない。まさに警察官としての育ての親みたいなものなのだ…


そして、そしてなのだ…我がクラスの担任教官こそが、あの泣く子も黙る「K教官」だったのだ…


後々聞いたのだが、

ココは日本中にある警察学校の中でも、その厳しさはトップクラスとのこと、

その中にあって飛び抜けて厳しいのが我が「K学級」ということになる…


これがあの「うはっ!当たりや」の答えだったのだ…



と、その時の俺は、そんなこととはつゆ知らず、今日から寝泊まりすることになる

宿舎(寮)に向かっていた。。


寮に到着、

結構年季の入った建物である。


真ん中にズドンと長い廊下、そこを歩き割り振られた部屋を探す。。


あった!扉を開け中に入ると、そこは仕切りで6つの小部屋になっていた。


真ん中の細い通りを境に3つずつ部屋がある。部屋と言っても完全な仕切りではなく、上は空いている。

公衆トイレをイメージするとわかり良い。

ドアもジャバラなので、隣の物音等は丸聞こえといった感じだ。


ここで今日から新生活が始まるのか…うん、悪くない。


そう思っていると同部屋の者達が次々と入ってきた。


初対面でよそよそしい挨拶をした後、みんなで記念に写真を撮ろうと提案した。


スーツ姿のまだ警察官らしくない、ぎこちない記念写真だった。

(あとで知るが、このメンバーは俺と同じK学級の仲間だった)


入校式は後日、

それまでに制服や各々の備品の貸与、学内のオリエンテーション等ゆっくりしてる暇はなかった。



そんな慌ただしい時間の中、

始めて教場(普通の学校で言う教室のこと)に集められた学級の面々達。


教場はいわゆる一般の高校のような部屋で、前に黒板、各々が机に着座している。


一クラス28名ほどだろうか(内女性は4名程)、まだお互いのことを知らない者同士緊張した面持ちで

様子を伺っている。


そう、あの男が来るのを待っているのだ。

このクラスの担任 K教官の来るのを…!



そして扉がガラガラと空いた。(一瞬にしてピリピリとする空気)


K教官が正面に登壇し起立、礼、着席の後、話し出した。


見た目はそれ程威圧的ではない、、

しかし芯の通った話し方、鋭い眼光、只者で無いことは直ぐにわかる。


印象的だったのは、話すときに


「教官はお前たちに〇〇と期待する」


と自分自身の事を“教官”と言うことだった。

(今までの人生でこういう一人称を使う人は初めてで、なんか新鮮だった)


そして、

・警察学校と言え、もう我々は警察官であり、給料を国から頂いている。

 (学生気分などとんでもない!)

・生活の全てが訓練である

・厳しい6ヶ月になるが、鉄の精神を持ってついてくるように

などの心得や

・K教官は剣道で警察代表の選手として勝負の世界で生きてきた

等の自己紹介的な話があった。


完全な体育会系の硬派頭の俺は、ちょっと痺れていた!


「よし!この教官についていこう!」


と本気で思っていた。



だが、K教官の本当の恐ろしさを、後の6ヶ月間で知ることになるとは

この時の俺には知る由もなかった。。。





と、時を現在に戻しますね(^_^;)


ようやく教官と出会うところを書けました。


今後はK学級の愉快な面々やK教官とのエピソードを

少しずつ書いて行けたらと思います。


思いつく限りでも、、

◯警察学校名物 ザ・根性面接や地獄の三大訓練

◯プレッシャーの体力検定試験

◯恐怖の水泳訓練

◯真夏の怪!警察学校怪談

など


警察学校独特の世界での掟、しきたりを紹介しながら

描いていきますね。


次回はまたメインであるスピリチュアルに関する事に

戻って何か書きます(^_^)


今回はこの辺で。


ありがとうございました。


            つなぐ







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第5回『ほぼ実話!?警察学校青春日記』①エピソード0

前回、告知させて頂いた通り

『スピリチュアルなんかぶっ飛ばせ』の番外編として

不定期に挟んで書いていくことになりました本シリーズ。。


本当にインスピレーションがありまして


「書こう!」


となりました。


どうなることやら、やや心配してる つなぐ です(^_^;)



時間を遡って(タイムスリップ!)

極端な体育会系だった当時の自分が語っていきます。


では早速始めていきたいと思います。宜しくお願いします。。。












199x年4月


俺は今、警察学校の玄関広場校庭に立っている。。

そう、今日は晴れて念願だった警察学校の入校式だ。


難関だった警察官採用試験…4度目にして突破、俺はここに立つことができた。



玄関広場には机が6つ程だろうか置かれ、各その前にスーツ姿の精悍な男女が列をなしている。


歩いて進んで行く、、

既に入校して訓練をしている先輩だろうか?近づいてきた。

自分の名前等を告げると指定の列に並ぶよう誘導してくれた。入校式の受付のようだ。


列に並び、順番を待つ間、俺の胸に去来すこの2年間の道のり…

「俺はやったんだ!」込み上げてくる熱い思い…


警察官を志した、あの2年前……




その当時俺は大学を卒業して一般の中小企業に就職していた。

工場等のシステムプラントを請負う会社。そこで営業職として入社した。

業界でのシェア、実績があり優秀な会社だった。

給料も実力重視であり一般的な他社よりも良い。ただその分休みは少ないのは

入社前から何となく聞かされていた。


最初の1ヶ月は工場で現場仕事を体験するため、地方の工場で泊まり込み肉体労働。

2ヶ月目は本社に帰り、最初の二週間程は先輩について得意先の挨拶回りだったが、

その後は一人で行動する事に…未だよくわからない自社の製品を飛び込みでアポ、営業

したりしていた。


大学の同期等は、まだまだ先輩について社内教育、簡単な仕事から始めていた時期に

俺はすでに独り立ちしたような段階の仕事をやっていた(実績はからっきしだったが)


「なぜ俺はここに居るのか?」


そのような思いが日増しに強くなる…


そして、その思いがどうにも止められなくなり、最終的には辞職する事を決める。


当時はまだまだ「転職」というのが今程一般的ではなく、会社を辞めることを誰かに相談しても

大体止められるのが当たり前の時代だった。


でもこの会社には感謝している。

普通の会社に入っていたら、それなりに続いたかも知れず

ここのように最初から一線の仕事をバンバン体験させてもらったので、

「俺はつくづく営業には向いていない」ということをハッキリわからせてくれたからだ。

(せっかく採用頂いたのに、迷惑をお掛けしたことは本当に申し訳なかったが)


そしてこの退職間際でも、人との出会いに救われている。


会社を辞める決意が固まってきていた時期、営業先の近くに大学時代に知り合った先輩の職場があったので、ついでに少し挨拶に寄ったのだ。


そこで先輩に

「今の会社辞めようと思ってるんです」

と言うと、

「そうか~次行く所きまってるのか?もし決まってへんかったら、うちで暫く働いて見るか?」

と仰って頂いた。


俺は二つ返事で「お願いします!」


と言っていた。


これで当面の収入も確保できる。

思わぬ所で大学時代の繋がりに救われた。



そして、先輩の会社は環境整備や警備を請負う会社だった。

辞職後、早速そこで施設の警備員として働かしてもらうことになる。


新たな職場でアルバイトとして泊まりの警備員をやることに。


いや~前職の営業より、こっちの方がよっぽど向いている!


良い仕事仲間にも恵まれ、それなりに毎日を過ごしていた。


そんな中でも次の職探しに余念がなかった俺はある日、転職雑誌のデューダを見ていた。

(当時デューダは転職雑誌の走りとして奇抜なテレビCMを流し、世の中にも少しずつ転職という概念が認知されつつあった)


そこで運命の出会いがあったのだ!


今も忘れはしない、

見開き1ページ目に、人々の平和を守りませんか?のキャッチフレーズと共に警察官募集の広告がデカデカと載っていた。


俺は“雷に打たれたかのよう”に目が離せなくなり、食い入るようにページの端から端まで見入っていたのをよく覚えている。


”もうその時にオレの心は決まっていた”


早速、記載されていた説明会に申し込む。


説明会では現職の警察官が、職務で体験した感動的なエピソード等が語られる…

感動が止まらない俺。


説明会後、俺の意志は完全に固まっていた。


「俺は絶対に警察官になる!!」



その時の俺には警察官採用試験がいかに難関で、狭き門であるかなど

関係なかった。

「俺はなれる!」と、とにかく根拠のない自信が只々あったのだ。


それからは、警察官採用試験の問題集(地方公務員試験)をとにかく勉強した。

泊まりの施設警備員という仕事もうってつけで、夜には誰もいなくなるため

暇を見つけては問題集を見ていた。


そして初めての試験に臨む事となる。


警察官採用試験というのは当時、年3回あった。

各回で採用人数が違い、120名程を採用の回もあれば、50名の回もあった。


一次試験が筆記で国語、数学等のいわゆる一般教養と論文で、ここで大半がふるい落とされる。

二次試験に進めた者は、面接で合否が決まる。

(因みに、この時点で受験者の人物調査も行われている。俺の場合も前職の会社と、現アルバイト先に警察の人間が聞き取り調査に訪れた)



最も近い採用試験には2ヶ月程しか無かったが、とにかく全力で勉強してアタックしてみた。


しかし、結果は一次試験で不合格。


これは準備期間もなかったので仕方ないと次の試験に向け頑張る。


「とにかく二次試験の面接に進めたら絶対行ける!」


と、やたら自信を持っていた。


大学時代は空手道部で主将を務めるほどバリバリの体育会系だった俺なら絶対に警察官になれる!との自負があったからだ。


しかし次の一次試験も不合格。

そしてその次も不合格。


と三度目もダメだった。


そして「とにかく学力、学力なのだ!」と

公務員試験の参考書を更に増やし、全く諦める気持ちもなく燃えていた。


ここでちょっと、

警察官採用試験がどれくらいの難関かを言っておくと、


当時は倍率にして40倍とかが当り前だった。

(コレは2000人受験して50人しか通らないと言う事だ)


今考えると気が遠くなる、、、



気がつけば、警察官を目指して一年以上が経っていた。


そして満を持して挑んだ4回目…


初めて一次試験に通る!歓喜!


そして、その勢いに乗り、二次の面接では(流石に緊張して舌が回らなくなったりもしたが)

何とか気合で乗り切り見事合格、警察官として採用される事となる。。。





、、、そう、二年か、、、


ようやくここまで来た。


コレから警察官としての基礎を身に付けるため、この警察学校で半年間の訓練生活が始まるのだ!

………

”しかし、引っかかることがあるぞ…”


さっき、この列に誘導してくれた先輩が変なことを言ったのだ…


俺が名前と自分の入るクラスを告げると


「うわっ!当たりや」


と言ったのだ。


当たり…何が当たったのか…?



「まあそんな事はいい、今はこの高鳴る思いで胸が一杯なんや」


俺はこれから始まる学校生活に胸を躍らせていた。


しかし、

その後この「当たりの意味」が嫌という程分かる事になるが、その時の俺には知る由もなかった…


そう、あの鬼教官との出会いを…





…と、時を現在に戻しますね(^_^;)


いや〜当時の自分に戻って書きました。


不思議ですが文体も変わりますね。

自分で言うのもなんですが暑苦しい(^_^;)



今回はこの辺で。


次回は乗ってきましたので、このまま

続きでエピソード1を書きます。


ありがとうございました。



         つなぐ








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