『スピリチュアルなんかぶっ飛ばせ』

スピリチュアルを否定するブログではありません(^^)  25年以上この世界を見てきた僕の思うがままを書きます。夢物語ばかりの“えせスピリチュアル”はふっ飛ばしていく姿勢です。

第4回『ほぼ実話!?警察学校青春日記』(予告編)

自分なりの「スピリチュアル感」を書いて行くブログです。。


けども!……僕の気まぐれが出てまいりました(^_^;)



次回は僕のちょっと奇妙な人生の一端を書きますね。


題して

『ほぼ実話!? 警察学校青春日記』


です。






これから

本稿である「スピリチュアルへの僕の考えや体験」の番外編として

不定期ですが、シリーズモノとして書こうと思っています。


スピリチュアルと関係ないやないか!とのご指摘…ごもっともです(^_^;)


ただ、僕の人生の大きなポイントになる、この時期を書くことで、

その後のちょっと変わった人生へと繋がっていく“スピリチュアル”を感じて頂けたらと思っています。


「ほぼ実話」としたのは、もう20年以上も前の話を書くからです。

僕の記憶が曖昧な部分も出てくるかも…と言う事で付けています。

(自分的には完全実話のつもりです)


まず僕が警察官になろうと思った経緯から、苦難の末!?警察学校に入校するくらいまでを書ければと思っています。


今思い返しても「数奇な人との出会い」や「根拠のない情熱」に押される様に流れていった時期

だったと思います。


そして“警察学校”と言う

「当時刑務所より自由がない」と言われた独特の世界。


そこで出会った愉快な仲間たち、

恐るべき教官、過酷な訓練生活…


今でこそ笑い話にもなるような一種独特の世界を書いて行けたらと思っています。



息抜き程度に気軽にお読みくださいね。

(僕も気が向いた時に不定期で挟んでいきますので気軽にやります^^;)


よろしくお願いします。


ありがとうございました。


第5回『ほぼ実話!?警察学校青春日記』①エピソード0 - 『スピリチュアルなんかぶっ飛ばせ』

へ続く。




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第三回 続・うつ病とスピリチュアル

こんにちは、

ブログの“一回分の記事の長さ”の適量が分からなくなってきている つなぐ です。


やりながら「自分の適量」を見つけていきたいと思います(^_^;)



さて

前回↓からの続きです。




よく巷のスピリチュアルで言う


「運命を変え、願望を達成して、


          幸せになる」


ということに対して


例えば、

僕がうつ病になる→自殺を実行した等の一連の出来事を何らかの方法で避けられたのか?


《この経緯は僕のホームページ『こもりびとの部屋』に書きました

 https://komoribito.crayonsite.info



その答えは NO だと思っています。


「あの時、違う選択をすれば…」


「あの選択が駄目だったんだ…」


「こうしていれば!」


と色々な事を考えてしまいがちですが、やはり僕はその時のベストな選択を


してきたようなんです。


今ではそう考えられるようになりました。


それはなぜかというと…





〈ここからが今回です〉



やはり「人の人生のシナリオ」というのは

決まっているようだからです。


何処まで決まっているかは、研究者によって

まちまちで、


大きな流れは決まっていて、必ず通る

 イベントはあるが、それ以外は変えていけ

 る


・90%は決まっているが、残り10%は変更可


・100%全て決まっている


等です。


どれが正しいかは置いといて(いずれ別の回で)、、

このなんとなくでいいので

人生の流れというのはある程度決まっていて、

“全てが偶然の連続で未来は全くの白紙ではないようだと言う事”を自分なりに受け入れたからなんです。


「そんなバカなこと!」


とお思いでしょう。そうですね、わかります。


信じなくていいです。それが普通の反応です。

科学的に証明もできませんし…


ただ、

それを匂わせる周辺の根拠は沢山あるんですね。


最新の脳科学なんかでは、

「意識で行動を決意するほんの少し前に既に脳で信号が起きている」

事がわかってきています(意識する前に無意識で既に行動を決めているとも言える)


また、哲学なんかでも(スピノザ哲学)100%の自由意志というのは否定しています。


また仏教でも

「未来を変え自分の願望を達成しよう!人生を思い通りにしよう!」


なんてゆう教えは、少なくとも僕が調べた範囲では見当たりませんでした。

(僕が知らないだけで何処かにあるかも知れませんが…)

逆に「自分の人生をいかに受けていれていくか」を仏教は教えてくれたんですね。



話が絡まってきておりますが(^_^;) 


・魂の進化のため今生での計画を立てて生まれてくる

・特に意味などなく大きな宇宙の流れの中で既に決められている

                       

等々色々と言われていますが、、

共通するものは自分(の魂)も含めた

何か「大きな存在全体」が進化していくために僕たちは人生を体験しているようです。


ただ仏教などでは

生まれる前にどうこうなどと運命的な表現はせず、只々


「今を念を入れて生きる」


事を説いているようです。


僕はここから一つの核心を得ました…

そうなんです。

人生のシナリオはあったにせよ

そのシナリオ(映画と言ってもいい)を、どんな気持ちで見て体感して、

そこに“どんな意味を見出すか”は各個人に委ねられている。


こんな経験はないでしょうか?

昔見た映画を何年(何十年)して見たら、当時と違う視点、感じ方をした。なんてこと…


これは考えると不思議なことです。

その映画自体は何十年経とうとシナリオが変わったり、演出が変わったり、

俳優が変わったりしません。

寸分違わず昔のままなんです。でもその映画から感じるものが変わるんです。


もし人生のシナリオが決まっていたとしても、

そこから「何を感じ得る」かは自由なんですね。


「過去の事に引きずられ」

「未来のことばかりに気を取られ」

「心はいつも此処にあらず」


これを仏教では戒め(苦しみの元となる)


『今に生きなさい』


と説いています。

(なぜならそれが「苦」から解放される教えの一つ)


そうすることで、余分な苦しみを作り出すことなく、

その人の真の人生を体験することができるから…と僕は解釈しています。


以前は「何故自分はうつ病なんかになったのか?」

と自問し、医学、心理学、仏教、哲学、瞑想…等にその答えを求めました。


そこから、ある程度の答えを得ることはできましたが、

完全に満たされることはなく、その最後のピースとしてスピリチュアルで言う

「今生で体験するべき学び」だったと言う事で一応の納得はしています。

(それでも「うつ病でなく、もっと別な学びでもよかったやん俺」とたまに思います^^;)


この辺りについては

〘ホームページ『こもりびとの部屋』の[うつ病の正体]に詳しく書きました。

 https://komoribito.crayonsite.info/p/4/



「人生にシナリオはあるのか?」については、意見対立の起きやすいセンシティブな題材なので、

ブログを始めたばかりの僕はもっと後に回したかったのですが、出てしまいました。

ブログって不思議ですね(^_^;)



まとめると、

実は人生にシナリオがあろうが、なかろうがどっちでもいいんですね。


その人その人の

「その時に“幸せに生きられる事”を信じればイイ」のです。


僕が現時点で行き着いた答えは


どちらにせよ

「思い切って生きる」のがどうも良さそうだと言うことなんです。


力尽きました、、

今回はこのへんで。


ありがとうございました。




               つなぐ






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第二回 うつ病とスピリチュアル

前回は僕のスピリチュアル世界を歩く上での羅針盤である

「山村幸夫さん」の教えについてお話させていただいた、つもりでした…


が!…書き終わって気づきました…

山村さんの紹介文で終わっている…(^_^;)


ブログの難しさを実感しています つなぐ です。。


もっと「山村さんの教え」について書けばよかったのですが、

“あまり長くならないように” を意識しまして…と言い訳です(^_^;)


いずれ書いていこうと思います。。



僕なりに理解している「山村さんの教え」を少しだけご紹介させて下さい。


〈今、世間を賑わせている事件にも通じますので、、、〉


宗教(指導者)を判断するとき


・先ずその指導者の人柄が「柔和で謙虚」か

 どうかをみる。


 そして生活振りが

 金や色に執着、生活が派手、やたらきらび

 やかな服装をしていたら注意する。


・自分を神格化し崇拝させている。壺や色々

 なアイテムを高額で購入させる


・恐怖や不安の感情で持って、その教義、組織に繋ぎ止める


・自分は「ブッタ」や「キリスト」の生まれ

 変わりである等と、のたまわってる。本当   

 の次の霊に導かれている人は謙虚なので

 そな事は言わないそうです


等です。


ご注意くださいね。。






では今回の本題です。


うつ病を患う以前の僕のスピリチュアル感は、今の僕なら「ぶっ飛ばしてしまいたい」ような浮ついたものでした。

(ちょっと過激な物言いですね)


「〇〇すれば運命好転!」

「自分の人生は思い通りに変えられる!」


みたいな、スピリチュアルを


魔法のランプ”


か何かのように勘違いさせるような…



確かに上記のような考えは“深い意味”では間違ってはいないとは思っていますが、表面的に理解され、


それこそテクニックとして謳われると


「苦しみを生む元」


になるかも知れません。



“えせスピリチュアル”がやたら推してくる

「自分の運命を変え、願望を達成して幸せになろう」にこだわるばかりでは


「執着」となり


そこから「苦しみ」が生まれる危険性だってあるんです。

(大袈裟かもしれませんが、これは本当に気をつけないとと思ってます)



以前の僕はというと…


体のエネルギーをクリアリング、

思考のコントロール、

観念の書き換え、

自己啓発系の「念ずれば成る」的なメソッド

引き寄せ

等々…


これをやったら〇〇…的な事ばかり幻想に酔いながらやって、


「願望実現の果てなき旅」に出ていました。


そして、その結果に一喜一憂し、こじつけとも言える解釈を仲間内でしたりして喜んでいました。

でもそれは一時的な事であることが多く、気が付けば何年にも渡って「同じ願望」「悩み」を抱えている、というパターンが

自分も仲間も常だったように思います。


上に書いたようなメソッドが「無駄だ!」と言いたいのではありません。

どのような“意識”で取り組み使っていくかが大切だと言いたいんですね。





ブッタ(お釈迦さん)は人生は「苦」だといいました。


この「苦」とは、「自分の思い通りにならない」という事を意味します。


ブッタは人生の苦から解放されるために仏教を起こされました。


そこから考えても

自分にとって嬉しいことばかり起きるのがスピリチュアルなんかじゃない


それをいかに受け入れれるようになれるかが本当のスピリチュアル


結局自分の人生(運命)を受け入れる事から始めないと…


と思っているんです…今の僕は。



これに関しては→


仏教しかり


マインドフルネスしかり

(世界的に実践されてる「今に生きる」瞑想法)


ホ・オポノポノしかり

(有名な問題解決メソッド)


小林正観さんしかり

(著名な作家・人生論の講演家)


山川紘矢さんしかり

(日本のスピリチュアルの草分け的存在)


森田健さんしかり

(生まれ変わり研究で知られる著名な経営者)

等々


同様の事を行っていると個人的には思っています。(あくまでも“個人的に”ですが!^^;)


そして「運命を変える」というのは、まず「運命がある」という前提がないと出てこないはずなんですね。


〈運命があるのか?ないのか?については、いずれ書くつもりです。勇気がいりますので…^^;〉


そして、そこから行くと…

「他人の運命の満たし方」

「自分の運命の満たし方」


があるはずで、


“全く同じではない”


ということも言えると思います。

(他人の満たし方は参考程度にして

自分の満たし方を実践していきましょう)




「運命を変え、願望を達成して、

          幸せになる」


に話を戻しますね。


では例えば、

僕がうつ病になる→自殺を実行した等の一連の出来事を何らかの方法で避けられたのか?


《この経緯は僕のホームページ

 『こもりびとの部屋』に書きました

  https://komoribito.crayonsite.info


その答えは NO だと思っています。


「あの時、違う選択をすれば…」

「あの選択が駄目だったんだ…」

「こうしていれば!」


と色々な事を考えてしまいがちですが、やはり僕はその時のベストな選択を

してきたようなんです。


今ではそう考えられるようになりました。

それはなぜかというと…


おっと、気がつけばまた長くなりました(^_^;)


今回はこの辺で。次回に続きます。


ありがとうございました。


            つなぐ







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