『スピリチュアルなんかぶっ飛ばせ』

スピリチュアルを否定するブログではありません(^^)  25年以上この世界を見てきた僕の思うがままを書きます。夢物語ばかりの“えせスピリチュアル”はふっ飛ばしていく姿勢です。

第56回「嫌な奴」は「ありがとう」だった

つなぐ

冬ですね(^^)


そんな冷え込んできた季節の中、

最近の僕の身近に起きた現象から、ふと『スピリチュアルな体験&気づき』

がありましたので人生の考察として今回の記事に書いてみます。


ではさっそくいって見たいと思います。





皆さん、ここで少し人生を振り返って見て下さい…


こんな事はありませんか?


人生で出会う、いわゆる「嫌な奴」


その後の自分の人生における選択肢を決める"一つの原動力になっていた"なんてことに。。


いやっ、

こんな事を考えたのは久しぶりに僕の人生に

「嫌な奴」が現れたからなんです^^;)



過去の記事でも、「今僕は幸せです」と書いて来ました↓




そんな僕の人生においても


「嫌な奴」


というのはやはりまだ、たまにですが現れます。


人生にはつきものなのかも知れませんね^^;


しかし、僕は昔の僕ではありません(^^)


こういう時、

今では感情的に一時は反応しても、少しの時間でその事を"ちょっと俯瞰して"

見る事が出来るようになりました。



全ての「嫌な奴」に今回のテーマを当てはめるのは難しいかも知れませんが

(でも深いスピリチュアル感からみれば全てなのかも…)

「特に嫌な奴」にその傾向は当てはまりがちです。


僕の半世紀以上に渡る人生を振り返ってもそれは往々にして当てはまるんですね。

ちょっと思い浮かんだ人物達を振り返ってみたいと思います。


では

3人の『嫌な奴』に登場して頂きましょう^^;



まずは、

中学時代のファミコンカセット野郎です。


当時、

爆発的に流行っていたファミコン。。

そのカセットを友人同士で貸し借りするのは当たり前の時代でした。

同じクラスの者なら、

それ程親しくなくても貸し借りする事もありがちで、その時の僕もそれでした。

そのカセットを返す日、カバンに入れて学校に持っていったのです。

教室でも確認し隣の者もそれを見て知っていました。

少し席を外した後、戻って見るとカセットがありません!

焦る僕、カバンの中を何度も探してる時、その持ち主が現れ「カセット返してや」と。


無くなった事情を何度話しても弁償してくれの一点張り、隣の奴に確認しても俺は知らないとしか言いません。

この二人がグルになっている事は明白なのですが、証拠もなくモノがなくなっているのは事実であり、

当時の自分にはそれ以上言う力もなく、泣き寝入りしたのです。

人ってこんな卑怯な事を出来るんやなと思うとともに理不尽さを味わった体験でした。。



次は

高校の頃のつるんでいた仲間内に

一人僕を事あるごとに小馬鹿にする奴がいました。


そいつは成績もよく運動もでき、自分に敵対する訳ではないのですが、

”カンに触る事”を時より言ってくるのです。

ソレが3年も重なると卒業式の日に呼び出して殴ってやると思うようになっていました。

(それは流石にやりませんでしたが…)


この2例は、

当時の自分は体力的にも自信がなかったから我慢したのかも知れません…


この様な経験から

「強くなりたい」と自分でも知らない間に思うようになっていったのでしょうね。

僕は後に大学に入り空手道部に入部して主将にもなり、その後の警察官になる事へと繋がっていくのです。。



3人目は、

警察官を志す前に一般企業にほんの少しいた事があるのですが、そこでの上司なんです。


その会社は僕より1つ上の先輩社員がだいぶ年が離れていたのですが、

その理由の1つがこの上司だったのです。

聞いたところによると、

この上司のネチネチしたイビリで辞めていった人は一人や二人ではないそうで、

それが僕とその先輩社員の”間が空いていた”大きな理由だったのですね。


こんな絵に書いたネチネチ上司っておるんやなぁと今では思います。


これだけが原因では無かったのですが、

そのお陰で?!

早々にこの会社を辞めて警察官になると言った舵に方向をきる

切っ掛けになりました。。



…特に印象に残る『嫌な奴』に限って、

僕の人生の分岐点の原動力に関わっているなぁと改めて感じるのです。



ここで、

これらの現象をスピリチュアルの視点から見てみましょう。


これまで

スピリチュアル関連本を数百冊読んで来ましたが、以下の様なことがよく書かれています。


それは

"人は生まれてくる前に自分の生きる人生のシナリオを自分で決めて生まれてくる"


その人生の中で沢山の人(魂)達と出会う事になり、色々な体験をします。

と言うことは、

その人生と云う舞台の上で配役も決まっているわけです。


そして(一見)嫌な体験もシナリオとして出会うのですが、

それは、


「君の魂の進化のために僕がその嫌な役を引き受けよう」


と言ってくれる魂が生まれる前に約束してきており、

その魂が大いなる宇宙(神)の計らいで完璧なタイミングで現れるというのです。


僕のために汚れ役を…

なんか悪いですね…有難う^^;)



こんな事、若い内に言われても全然ピンと来なかったかも知れません。


だって、嫌な奴は嫌な奴ですから^^;


(目の前にいる「嫌な奴」を中々そうは思えませんよね)



でも半世紀以上生きてきた今なら、自分の人生を振り返って、

そうかも知れないなぁと少し納得してしまうのです。


皆さんも振り返って改めて考えて見るのはいかがでしょうか?


自分の人生にまた違った視点が生まれるかも知れませんね。

 


そして、冒頭でも書いた様に、

今回僕の人生に現れた久々の『嫌な奴』も、一つの決断をする切っ掛けとなっているようです。


この決断で僕の人生はまたどの様に変化して行くのでしょうか?


でも、それ程心配はしていません(^^)


なぜって?


それは、僕の最近のブログでも繰り返し書いているように


"人の運命は決まっていて、全ては生まれる前に自分のために良かれと決めた通りに流れて行く"


と今では思っているからなんです。


だから自分の思うまま思い切って行動して生きていけばいいのですね。

だってそれもシナリオ通りなのですから(^^)


自分の選択・行動に間違いはないのです。

過去を振り返りあの時

「〜していたら…」

「〜していれば…」

と言った"タラレバ"はないのです(^^)


そう思える様になって、

過去を悔いたり未来にいたずらに不安になる事は大分減りましたね。


そう、

過去や未来にばかり目を向けず、今に生きる今の自分の思いを感じ、大切にする…

そうして自分を知ること…


コレが幸せに生きる鍵なんだと今改めて感じています。


仏教なんかでは昔から言われている事なんですね。

ということは2500年前から幸せを感じる秘訣は分かっていたって事なんです^^;


「嫌な奴」を『いいや(良いや!)な奴』


と100%思えるまで、僕もまだまだ至っていません。

ですが、

「嫌な奴を嫌な奴だと今自分は感じているんだなぁ」

と、そんな自分をまず受け入れ、その気持ちにフタをせずに自分を大切にする事こそが

『今を生きる』ことに繋がる。。


そんなふうに一歩一歩生きていこうと決意を新たにした出来事でした(^^)



今回はこの辺で。



僕のブログを読んで頂いている皆さん、今年も有難うございました。


辛い事が多かった人もおられると思いますが、どうぞ皆さん良いお年をお迎えください。


最後まで読んで頂きまして有難うございましたm(_ _)m

                                                                  

                                                                                      つなぐ


第55回 僕の運命は決まっているのか!?【確信編】

つなぐ


どうもこんにちは。


本記事は前回の


僕の運命は決まっているのか!?【探求編】


をお読みでないと分かり難い内容となっております。

短時間で読めますので是非こちらからどうぞ(^^)↓


前回記事





前回からの続きです。


僕は「運命」について何を確信したのでしょうか?


では


僕の運命は決まっているのか!?【確信編】


さっそく始めます。








さて前回の後半より、、




よく巷のスピリチュアルで言う


「運命を変え、願望を達成して、幸せになる」


ということに対して



例えば、


僕がうつ病になる→自ら命を絶つ行為を実行した

等の一連の出来事を何らかの方法で避けられたのか?



《うつ病の経緯は僕のホームページ『こもりびとの部屋』に書きました

 https://komoribito.crayonsite.info》



その答えは NO だと思っています。



「あの時、違う選択をすれば…」


「あの選択が駄目だったんだ…」


「こうしていれば!」



と色々な事を考えてしまいがちですが、

やはり僕はその時の必然で必要な選択をしてきたようなんです。


今ではそう考えられるようになりました。


それはなぜかというと…



と、

前回はここまで、ここからが今回です。



その答えは…


『人の人生のシナリオというのは決まっている』


ようだから、なのです。


何処まで決まっているかは研究者によってまちまちで、



・大きな流れは決まっていて、必ず通る

    イベントはあるが、それ以外は変えていけ

 る


・90%は決まっているが、残り10%は変更可



・100%全て決まっている



等のいくつかの見解があります。


このなんとなくでいいので


人生の流れというのはある程度決まっていて、


“全てが偶然の連続で未来は全くの白紙ではないようだと言う事”


を自分なりに受け入れたからなんですね。



「そんなバカなこと!」



とお思いでしょう。

そうですね、わかります。


信じなくていいです。それが普通の反応です。


科学的に証明もできませんし…

ただ、

それを匂わせる周辺の根拠は沢山あるんですね。



最新の脳科学なんかでは、


「意識で行動を決意するほんの少し前に既に脳で信号が起きている」


事がわかってきています


(意識する前に無意識で既に行動を決めているとも言える)



また、哲学なんかでも(スピノザ哲学)


100%の自由意志というのは否定しています。


この辺のことは↓の記事で詳しく書きました



そして、スピリチュアルの世界でも多くの文献で


・魂の進化のため今生での計画を立てて生まれてくる


・特に意味などなく大きな宇宙の流れの中で既に決められている


                     

等々色々と言われていますが、

それらに共通するものとして、自分(の魂)も含めた


何か「大きな存在全体」

(神、宇宙、サムシンググレート…色々な呼ばれ方があります)


が進化していくために僕たちは人生を体験しているようなんです。

これを

「ワンネス(全ては一つでつながっている)」

と言ったりもしますね。



僕はここから一つの核心に触れた気がしたのです…



そうなんです。

人生のシナリオはあったにせよ


そのシナリオ(映画と言ってもいい)を、どんな気持ちで見て体感して、

そこに“どんな意味を見出すか”は各個人に委ねられているのではないかと。



こんな経験はないでしょうか?


昔見た映画を何年(何十年)して見たら、当時と違う視点、感じ方をした。なんてこと…



これは考えると不思議なことです。


その映画自体は何十年経とうとシナリオが変わったり、

演出が変わったり、俳優が変わったりしません。


寸分違わず昔のままなんです。

でもその映画から感じるものが変わるんです。


もし人生のシナリオが決まっていたとしても、

そこから「何を感じ得る」かは自由なのかも知れません。。


「過去の事に引きずられ」


「未来のことばかりに気を取られ」


「心はいつも此処にあらず」



これを仏教では戒め(苦しみの元となる)



『今に生きなさい』



と説いています。

(なぜならそれが「苦」から解放される教えの一つだから)


そうすることで、"余分な苦しみ"を作り出すことなく、

その人の真の人生を体験することができるから…


と僕は解釈しています。


そうです

この事が前回でも言いました


”自身の運命を変えよう変えようとするのではなく

その決まった運命を受け入れた時、逆説的にその運命が好転していく”

(余分な苦しみから解放される)


ということなんです。


仏教では

運命論的なことでは表現はしていませんが、只々


「"今"に念を入れて生きる」(今に生きる)


事を説いています。



そして僕は仏教の中で


「未来を変え自分の願望を達成しよう!人生を思い通りにしよう!」



なんてゆう教えは、少なくとも自分が調べた範囲では見当たりませんでした。

(僕が知らないだけで何処かにあるかも知れませんが…)


むしろそれとは逆に


「自分の人生をいかに受けていれていくか」


を仏教は教えてくれたんですね。



以前は


「何故自分はうつ病なんかになったのか?」


と自問し、


医学、心理学、仏教、哲学、瞑想…等にその答えを求めました。


そこから、ある程度の答えを得ることはできましたが、

完全に満たされることはなく、その最後のピースとしてスピリチュアルで言う


「今生で体験するべき学び」


だったと言う事で一応の納得はしています。

(それでも「うつ病でなく、もっと別な学びでもよかったやん俺」とたまに思います^^;)


この辺りについては

〘ホームページ『こもりびとの部屋』の[うつ病の正体]に詳しく書きました。

 https://komoribito.crayonsite.info/p/4/〙



自分を含めた大きな存在が、

その分霊(わけみたま)として多数の存在となり、

この三次元世界で肉体をもって多種多様なシナリオで人生を経験する…


その大きな存在(自分とも言える)が

自らの進化の為に決めてきたシナリオなのだから、

その内容は自分にとって良き事に決まっているはずです。


ただ三次元的に一時だけを切り取って見ると、

一見酷い出来事と思える様な事って誰にもありますよね。


でも、ソレさえも長い期間で見るとやはり必然で必要な経験だったと。。



そして何よりこの事は、

僕の今までの人生においてもやはり言える事の様なんです。。


その理由をお話しますね。



僕は以前にも書いたように、

昔10年以上うつ病の波に苦しみもがきました。。


正直、その大波の最中では、上に書いた様な事なんて到底受け入れられるものではありませんでした。


うつ病が寛解(良くなった)した後でさえ、


「あの経験があったからこそ…今の自分がある」


「あの経験があって良かった」


なんて安易には思う事は出来なかったのです。


それどころか、うつ病の渦中では

こんな運命にした神を胸ぐら掴んで投げ飛ばしてやりたいとさえ思っていました。


運命について自分なりに研究し、自問自答してきて、

頭では今生での魂の進化として(自分で)決めたシナリオを体験していくと分かってはいても、

この体験だけは中々全部を受け入れられずに生きていたのですね。


それ程、本物のうつ病とは苦しい体験であり、

うつ病経験者のコミュニティで交流のあった人達も、大体皆さん同じような事をいっていました。。


あの様な体験、

10億円あげるからと言われても二度とごめんだと心底思っていたのですね。



そう思い続けて数年…



今年になってそんな僕にも、

その体験に”意味があったのだ”と本当に思える出来事が起こります。



それは僕の甥っ子が突然、心の病になってしまった事からでした。


僕の妹の息子であり、オムツをしていた幼き頃から我が家によく遊びに来て、本当に可愛がっていました。


成長して成人になる過程でも、本当にいい子に育ち、僕がうつ病の最中でもずっと心配してくれていた本当にいい奴なんです。


そんな甥が僕と同じ様な心の病になってしまったのです…



異変を感じた妹が直ぐに相談にきました。


妹は僕が病の時、一番世話になった人であり僕の症状を全部見て来て知っています。


二人で話し合い、直ぐに僕のかかっていた主治医を受診しました。


甥の異変後の迅速な受診に先生も驚いていたそうです。


なぜなら、

精神科の受診というのは周囲も心の病とはよもや考えず、

どうにもならなくなってようやく病院かなとなって

受診が遅れ気味にになる事が多いからなんですね。


僕は安易な精神科受診は必ずしもお勧めしませんが、

甥の場合、僕の経験からも見て直ぐに受診を勧めたのです。



妹も、僕のうつ病状態を見てきたので、落ち着いて対応できたし、

僕自身は経験者なので甥の気持ちまでも理解してやることができます。


暖かく見守って、寄り添ってやる事ができるのです。


正直、

これから就職活動等も控えた甥が、若くして動けない位の心の病になったのはショックでしたが、

少なくとも間違った方向に行かないよう寄り添って支えになる事は経験した僕だからこそ出来る事だと思っています。


今後も僕のできる限りのことをしてあげて、ただただ甥に寄り添っていこうと思っています。

それが今、甥の体験している世界を先に歩いた僕が出来ることだからです。


大切な甥の支えになれるのなら僕の経験も意味あるものとして、ようやく受け入れられました。



何か神の見えざる力を感じざるを得ません。。





「人生にシナリオはあるのか?」


については意見対立の起きやすいセンシティブな題材なので以前は注意して発信していました。

でも、この事について研究を進めていって分かったのは、これは信じるも信じないもあなた次第で全くいいんですね。


(ここからが僕の今回のテーマの【確信】です)



その理由は…


実は人生にシナリオがあろうが、なかろうがどっちでもいいんですね(^^)



その人その人の


「その時に“幸せに生きられる方”を信じればイイ」のです。




僕が現時点で行き着いた答えを言いますね。



それは運命が決まっていようがいまいが

どちらにせよ


「思い切って生きる」のがどうも良さそうだと言うことなんです。


もし、

運命が決まってなくてシナリオなんてものもなく、人生は自由意志で全て変えていけるものなら、、

世間でよく言われる「悔いなく生きる」をできうる範囲で実践すればいいのです。


もし、

運命というものが確かにあって、どんな選択をしようとすでに決まっているのなら、、

それは自分(大きな存在全体)が決めて来たのですから、

やりたいように生きどんな選択をしても間違いはないわけです。




いかがですか?


どちらも同じような事を言っていると思いませんか?



ですから皆さん、


カッコよくなくていいんです。今の自分でいいんです。

思い切って生きましょうね(^^)



それこそが幸せを感じる生き方なんですから…



僕の他のブログ記事をお読み頂いてる読者の方々にはお馴染みの結論になりましたね^^;


でも、これが僕の今の運命に、人生についての「確信」なんです。


今回はこの辺で。


最後までお読み頂き有難うございましたm(_ _)m

                                       つなぐ





セラピールーム『小さなバルコニー』

https://smallbalcony.crayonsite.com


「うつ病」「ひきこもり」の手作りサイト

https://komoribito.crayonsite.info

第54回 僕の運命は決まっているのか!?【探求編】

つなぐ


お久しぶりです^^;


ブログをしばらく書いておりませんでした。ですが、

その間にも沢山の方が毎月僕のブログを見に来て頂いている事に改めて驚きます。


「残る」ということにおいて、

SNSとは違ったブログの魅力を感じております ツナグです(^^)


特に近著である


コックリさん研究

第51回 研究!"コックリさん"【現象編】 →


運命の研究

第53回「運命は本当に決まっているのか?」 →


に閲覧が集中しているのは、やはり皆さんこの手の事にご興味がお有りなのかなと考えさせられている今日このごろです。。


いつも読んで頂き有難うございます。



と云ったこともあり久々の本記事は、

前回の記事に関連しいる「運命」についての昔の記事を

現在の自分の考えも交えてリライトし、加筆修正して書いてみました。



では、さっそくいってみましょう







以前の記事にも書きましたように、

僕は昔、鬱を患いましたが、病にかかる以前の僕のスピリチュアル感と言えば


今の自分なら「ぶっ飛ばしてしまいたい」


ような浮ついたものでした。

(ちょっと過激な物言いですね^^;)



それは、


「〇〇すれば運命好転!」


「自分の人生は思い通りに変えられる!」



みたいな、スピリチュアルをあたかも


“アラジンの魔法のランプ”(願いが叶う道具)


か何かのように勘違いさせるようなものだったからです…



確かに上記のような考えは


“深い意味”では


必ずしも間違ってはいないとも今では思っています。

ですが、それが表面的に理解され、

それこそ"単なるテクニック"として謳われると


「苦しみを生む元」


にさえなるかも知れないからなんです。




どう言う事かお話ししますね。。



“えせスピリチュアル”がやたら推してくる



「自分の運命を変え、願望を達成して幸せになろう」



にこだわるばかりでは、



それは「執着」となり



そこから「苦しみ」が生まれる危険性だってあるんです。


(大袈裟かもしれませんが、これは本当に気をつけないとと思ってます)



昔の僕はというと…


単なる技法(メソッド)として


体のエネルギーを浄化だ!、

思考のコントロール!

観念の書き換え!

パワーアイテムを持つ!

自己啓発系の「念ずれば成る」的なメソッド!

(浅い理解の上での)引き寄せ!


等々…


〇〇をやったら人生思い通りになる!

と、

短絡的に捉えて、この様な事ばかりを追いかけ、その幻想に酔い、



「願望実現の果てなき旅」に出ていました。



そして、

その結果に一喜一憂し、こじつけとも言える解釈を仲間内でしては自己満足に浸って


この出来事はあのメソッドで現実が変化したからだ!


と喜んでいました。


でもそれは一時的な事であることが多く、

気が付けば何年にも渡って「同じ願望」「悩み」を抱えている…

といったパターンが自分も仲間も常だったように思います。




上に書いたようなメソッドが「無駄だ!」と言いたいのではありません。


どのような“意識”で取り組み使っていくかが大切だと言いたいんです。



それを以下の事から説明してみますね。



ブッタ(お釈迦さん)は人生は「苦」だと言いました。


ここで云う「苦」とは、



「自分の思い通りにならない」



という事を意味します。


(その思い通りにならない事を思い通りにしようとする事から「苦しみ」は生まれる)



ブッタは人生の「苦しみ」から解放されるために仏教を起こされました。



そこから考えても


自分にとって嬉しいことばかり起きるのがスピリチュアルなんかじゃない


それをいかに受け入れられるようになれるかが本当のスピリチュアルなのかなと…


(でもコレが、

運命が好転していく事につながっていくパラドックス的現象である事

を後々知るのですが…それは後程書きます)



結局自分の人生(運命)を受け入れる事から始めないと…


と思っているんです…今の僕は。



これに関しては、



仏教しかり



マインドフルネスしかり

(世界的に実践されてる「今に生きる」瞑想法)



ホ・オポノポノしかり

(世界的にも有名な問題解決メソッド)



小林正観さんしかり

(著名な作家・人生論の講演家)



山川紘矢さんしかり

(日本のスピリチュアルの草分け的な発信者、

翻訳家、著作家)



森田健さんしかり

(生まれ変わり研究で知られる著名な経営者)


等々



同様の事を言っていると個人的には思っています。


(あくまでも“個人的に”ですが!^^;)




そして「運命を変える」というのは、


まず「運命がある」という前提がないと出てこないはずなんですね。


〈運命があるのか?ないのか?については、前回の


第53回「運命は本当に決まっているのか?」 


に僕のコレまで分かった事を思い切って詳しく書きました。



ここから"決まった運命がある"と仮定して書いて見ますね。



人類が80億人以上地球上に存在する現在、

一人として同じ人生を歩む人はいない事は周知の事と思います。


80億通り以上の用意された人生(運命)があると云う事ができます。



と、そこから考えると…


「他人の運命の満たし方」と


「自分の運命の満たし方」



があるはずで、


“各々の人生の満たし方は全く同じではない”


ということも言えると思います。


お金、出世、地位、名誉、仕事、

穏やかな時間、真の友人、伴侶、家族、

食事、芸術、趣味、

等々…


人生において"幸せを感じる"価値観と云うのは実は沢山あります。


でも「お金があれば全て叶うやん」

と云った考え方もあります。


確かにお金は重要です。


が、

この記事をお読みの賢明な皆さんなら、

上に書いたようないくつかの事で幸せを感じるには

どうやらお金だけで手に入れるのは難しいのでは?

と気づいておられるのではないでしょうか?(^^)


実際、僕も半世紀以上生きて来て思うのです。


若い頃は出世、成功に過剰なまでに価値を置いていました。


でもそれは、

周りから影響を受けて押し付けられたモノであり、

僕の心を芯から満たしてくれるモノとは少し違っていた様に今では分かっています。


出世、成功に価値観を置く事が悪いと言っているのではありません。

個人によって違うと云うことです。


(他人の満たし方は参考程度にして

自分の満たし方を実践していきましょう)




と、ここで


「運命を変え、願望を達成して、


          幸せになる」


に話を戻しますね。




では今回の本題でもある、


"僕の人生で起こった事"


は運命として決まっていたのか?

を例として書きますね。


コレまでのブログにも書いてきた様に、僕は昔、鬱の病にかかりました。


そこで起こった事


僕がうつ病になる→自ら命を絶とうとする…等の一連の出来事は何らかの方法で避けられたのか?


《↑この経緯は僕のホームページ

 『こもりびとの部屋』に真剣に書きました

  https://komoribito.crayonsite.info》





その答えは NO だと思っています。



「あの時、違う選択をすれば…」


「あの選択が駄目だったんだ…」


「こうしていれば!」



と色々な事を考えてしまいがちですが、


やはり僕はその時の必然で必要な選択をしてきたようなんです。。


今ではそう考えられるようになりました。



それはなぜかというと…



おっと、気がつけば長くなりました(^_^;)




今回はこの辺で。


次回は僕が自分の運命を受け入れるに至った秘密を書いていきます↓

第55回 僕の運命は決まっているのか!?【確信編】 

に続きます。


読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m




            つなぐ